一早掲示板ブログ

政経東北8月号に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松在住男性この記事関する詳細な情報を得ることが出きたのでその全貌を公開します。尚Blogger での投稿は最終になります。以後の投稿は一早掲示板が解き明かす実態究明‥暴露系ブログ (livedoor.blog)  での公開となりますので、引き続きご拝聴ください。 

当ブログは世間の皆さんに警鐘を鳴らす意味において公開しております。
身近に起こる犯罪とは、自分自身が知らない間にも魔の手は忍び寄ってきます
自身で防衛対策に努めましょう。※当ブログは政経東北とは一切関係ありません。

「土地建物明渡し請求事件(民事訴訟)」は結審!この最終章では、なぜ関正尚が数々の刑事訴訟を逃れてきたかを検証する。

 
民事裁判の「土地明け渡し請求事件」はすべて結審し論争は終えた。あとは7月25日の判決を待つのみだ。
当掲示板でも情報と検証をもとに書き綴ってきたが、今回は此処でのブログの最終章として、さかのぼって事件を離れた過去の環境からも位置づけしてみようと思っている。
関正尚(山内酒店社長・会津若松市)と云う人物像が、何故銭の亡者、金にまとわる余りにも異常なほどの執着心は何のなのか、その発端は関正尚の幼少時に始まったのではと考えてみた。
 ある人物からの情報を得たが、関は幼少時に会津若松市の材木町界隈の施設で育ち、母子家庭だったという。どういう事情で母子家庭なのかは知る由もないが、関は昭和19年の出生。
当時の状況下では母子家庭などはいくらでもいた。終戦下の日本は誰しもが生きるのが精いっぱいの時代、特に東京や大阪のような都会ではすさまじい生きざまが展開されてきたはずだ。
しかしここ会津あたりでは生活が苦しいまでも都会の生活の比ではないだろう。
今回、関にターゲットにされた長谷川も父親のいない母子家庭であったようだ。
長谷川が生まれたときは父親は生きていたそうだが、2週間後に亡くなったそうで当然長谷川は父親の顔も知らない。以後母子家庭と云うことだ。
幸いにも長谷川には塗師の職人だった祖父がおり、物心ついたころはその仕事場で時間を過ごしていたから多少は報われていたかも知れない。
職人と云えば厳粛なる厳しい面もある。その分母親は勤めに出て帰ると家の一切の切り盛りをし、4人の長谷川の兄弟と職人の祖父まで面倒見てきたのだから、すさまじい生き方であったろうと思われる。

 関の幼少時の話は先ほどの程度の情報しかつかめていないが、かなり厳しい環境の許で育ったのではとはよく耳にするが、その辺はペールに包まれた状態だ。 いずれにしても子供の頃の境遇などは、この時分は皆同じであり偏見的感情などが芽生えていたとしたら、想像も絶する何かがあったのだろうと考えるべきだろう。
長谷川も母子家庭であったが、母親の愛情はもとより兄弟愛にもはぐくまれて育ったものと思われる。
幼少時はかなりやんちゃだったと聞いている。それでも人のものを盗むことと、騙すことの悪さだけはしっかりと教え込まれたようで、そのことだけは頑なに植え付けられているのだ。
騙されても人を騙さないで生きてきた長谷川流の生きざまだろう。

 長谷川が関とあったのは、大人になって酒を飲み始めた頃である。
長谷川には家族全体と付き合ってる友人がいた。そのおふくろさんと友人の妹がやっていた店だ。そこで飲んでいた時分に関が酒を配達していたというのがきっかけである。
ただそれだけであった。なんと気さくなまじめな青年。そんな感じに長谷川の目にはとまっていたそうだ。
まさか後年この関に、借地借家とはいえ100年以上も住み続けた家土地を、大家ともどとこの関にだまし取られるとは夢にも思わなかっただろう。しかし現実となったのだ。

 関は山内酒店に入る前までは、プロパンガスの会社などにもいたことがあり、職を代えながらこの山内酒店が最終就職だ。よほど居心地がよかったのか今となっては代表取締役となり、念願かなえたりで終活活動にでも入ればよいものを、ここらがやはり銭に関する執着心の違いというのか、人並外れた貪欲な感情に溺れる始まりだったのかもしれない。
一度まんまとしてあぶく銭をつかんだものは止められない。歯止めが利かなくなる。
悪知恵が悪知恵を生みエスカレートしていくのは、関だけに限ったことではないはずだ。
そのいい例が、今回のコクドの斎藤新一、太田正吾の一大連合の発足だろう。

 関は当時一介の丁稚奉公の配達員であったと長谷川は云う。
この当時の山内酒店(会津若松市米代、現在は駐車場で利用)に行ったことがあるが、当時はまだ先代の会長がおり、娘もいたような気がしたが、その娘はのちに別店(蚕養町)で、かつて山内酒店の働いていた人物が出店していた店舗を運営していたが、数年前閉店しその株はすべて関に取り上げられている。現在は関が山内酒店の株のすべてを保有しているのだ。
 株と云えば従業員酒井宏文も一応山内酒店の役員登記であった。コロナ禍の際、給付金を貰うため酒井は役員を外された。これは一介の従業員として給付金を取得するための手法で関はその辺は抜け目ない。酒井は強制的に印をつかされたという。
 コロナ終局後酒井の地位は戻されることなく、いつの間にか山内酒店の娘が役員登記がされている。もともと消滅していた娘の役員登記を一方で行っていながら、酒井を戻そうとしないこの辺は関の思惑がちらつく限りだ。
何故こんな境遇を受けながら、酒井は正義を貫こうとしながらも、今回の証言にしかり関の言いなりになってしまうのかを検証してみた。
 当時のこの山内酒店の入り口わきの二階への狭い螺旋階段を上がると、二畳ほどの狭すぎるほど狭いの事務所があった。ここが関の闇金業のアジトだ。当時は金融の看板があったというが、闇金が儲かると知ると看板を返納し闇金に鞍替え。現在の「福和商事」だ。
さらにここには畳一畳ほどの屋根裏部屋があり、酒井はここで寝起きしていた時があったというのだ。理由は酒井も知らないというが、その以前には酒井の兄が寝起きしていたという。この兄は山内酒店に勤めたことはないというのだ。
 詳しくは知らないが、酒井にはそれに対する義理立てにでも似たような感覚があったのか。まさか任侠の世界でもあるまいし、恩義と犯罪の片棒は別物だ。酒井はそこの板挟み的心中があったのかもしれない。そしてこの頃はすでに関がこの山内酒店を牛耳っており、思うがままに動かしていたようだ。
 その以前には、店舗前の国道が拡張工事にかかり、店舗も半分ほどかかり当時でもそれ相応の保証金が入っている。その数年後現在の元酒造蔵を借りてそれこそ長谷川とは目と鼻の先へ移転したのは周知のとおりだが、保証金がどのように使われたかは不明だ。この辺も明るみになれば面白いところだが、それでなくとも悪い話は飛び交っても良い話などは聞いたこともない。

 前置きが長くなってしまったが、関正尚が一連の刑事告訴告発を逃れてきたかについて紐解いてみよう。
22年ほど前に「農地法違反」「公文書偽造同行使」等で逮捕有罪判決を受けているが、これは関にとって大きな誤算。司法をなめてかかった結果だ。関わった司法書士が悪いように云い触れ回っていたがこれは嘘。仕組んだのは関で、はめられたのは元暴力団組長。通常では転売かけられない農地を担保に取った組長が、関に相談したのがきっかけで、関が勝手に登記を移転してしまったと云うもの。あわよくばその後安価で関が買い取る算段が出来ていたのだろう。ところが相手が悪い。仮にも相手は元暴力団組長、警察が躍起となるのは当然あっけなく御用となった。関は100万円の落とし前を払う羽目になった。
関は初めての逮捕で一時委縮していたが、再度悪行の数々を展開しているのは周知のとおり。むしろ知恵をつけたというか元々の天性的詐欺魂と云うのか、より一層切羽琢磨しているのだ。
今回の長谷川の一連の事件を、難なくかいくぐって来たこの根幹は紛れもなく従業員酒井宏文の存在だろう。紛れもなくキーポイントである。

 一番初めに訴えた関ら一連のグルーブよる「詐欺罪」。これは何のことはない。会津若松警察署捜査一課、半谷という刑事の決定的お粗末な結果だ。ほぼ10ヶ月に渡り何の捜査もなく検察に矛先を転換し「不受理」とした経緯だ。検察でも確認したがその事実はなく、半谷刑事の一人芝居だったことが判明。これで関は一命をとりとめた。一番目の訴えだ。

 づぎに時期を同じくして、生活安全課に関に対する「著作権法違反」で告訴。
しかし検察にて不起訴の決定。検察審査会においても「不起訴相当」の議決。
これらの関係者の聴取はされたものと推測するが、山内酒店と当然取引関係相手の「末廣酒造」である。すべて関にとって有利な証言、末廣酒造にとっても有利な発言するものばかりの聴取。おそらくは酒井宏文の聴取もするよう提出しているが、酒井は正直話すと云ってはいたが、たとえ聴取を受けていたとしても今回の証言のように、関に圧力がかけられていて証言を覆している可能性が大である。
末廣では長谷川の試作品のデータまで使って販売していたにも関わらず不起訴である。当然長谷川の許可も承諾もなしにだ。この不起訴などはどう考えてもおかしいのだ。
 したがってここでの不起訴も仕掛けられた不起訴である。

 この当初の詐欺罪が不受理とされたので「宅建業法違反」で再度告発するも、担当部署が生活安全課であり、著作権法違反を担当していた生活安全課では手が回らないことと、不受理とされた警察の保有期間で時効が迫り、仕方なく検察庁へ直訴したもののこれも最終的に不起訴であった。検察審査会の決定も「不起訴相当」であった。
これもおかしなもので、検察官は関係者の聴取は行ったとしているが、行ったとしたら関サイドの司法書士、宅建業者である。長谷川サイドは誰一人聴取されていないのだ。これで公平な聴取などとは到底言えたものでない。
この時も酒井宏文がすべてを知っているから聴取するよう書面で提出している。
当初、長谷川には酒井は聴取を受けていないと云っていたそうだが、今回の民事裁判での事から露見し、この時も関からの圧力で何も知らないわからないで通してしまったそうだ。
この時正直に酒井が話しており、なおかつ長谷川サイドの供述を検察官がおこなっっていれば、関は起訴されていた可能性は高いとみている。だれが見ても関が司法書士、宅建業者と共謀のうえだまし取ったのは明らかであるのだ。
よりによってこの検察官は、酒井宏文の聴取にあたって関正尚に電話して聴取する旨む伝え呼び出している。あきれてものが云えないとはこのことだ。
関は訴えられている本人だ、その人間に証人としての酒井の呼び出しを告げるとは何たる失態だろう。案の定酒井は関から威圧をかけられ何事もなかったと証言してしまったと、長谷川に話しているのだ。
 次に太田正吾への「脅迫・器物損壊罪」こちらも会津若松警察署捜査一課で、脅迫現場の監視カメラ映像をもとに、
検察へ送付しますと取り上げた事件。
こちらも検察は不起訴の決定だが、検察審査会はまだ議決していない。監視カメラ映像を踏まえても不起訴であるなら、世の監視カメラは無用の長物に過ぎないものになってしまう。
太田の二枚舌と関の毒舌にやられてしまったか?
ちなみにこのすべての担当検察官は、新田雄也副検事。長谷川にとって生涯無能検事としての記憶しか残らない特別な名前になるだろう。

 いかに関が犯罪を繰り返しそして逃れてきたか、少しはご理解いただけただろうか。
要は関は金の力で物事を押さえつけてきたわけではないのだ。自分の配下にいるものをあるいは使用人を威圧をかけて証言を覆させる。脅迫じみた言動で押さえつける。
これらことに知識のない検察官。配慮のない司法関係者。これらが合いまった時にこそ関の本領が発揮されるのかも知れない。持ち前の毒舌や持論を発揮できるのかも知れない。

 今回の民事裁判では、関と太田は最後まで傍聴席で睨みをきかせていたという。
こんな法廷では証言者は決して勇気をもって真実を話せるかと云えば疑問である。
事関して、酒井宏文のような従業員では尚更の事。実際証言するなと強要されていたのだ。
裁判後、配達を終えて店に換えると関に言われたそうだ。
「お前はどっちの人間だ。店の人間だろう。どっちが大事だ」と云われたという。
実に恐ろしい言葉だ。店の実務と犯罪加担は別物だ。この言葉は犯罪加担の強要だろう。
その後酒井は、長谷川の電話を着信拒否にしろと命じられたのだと長谷川に告げている。
今更着信拒否にさせて何になるんだろう。裁判は結審しているのだ。人権侵害も甚だしい。
よほど今後の進展が気になるのか、一人では何もできない実に嘆かわしい限りの男だ。
 結果ありきでいくら長谷川に酒井が言い訳をしても、この酒井の行為は攻めは受けなくても決して人として許される行為ではないだろう。
 酒井の証言一つで、事件の立証がなされたものを刑事事件が葬られたのだ。
酒井は二度の裏切りを犯している。一度は関に対する刑事事件の証言だ。その証拠ともなり得る証言を、関らの圧力によって覆した。これは長谷川への完全な裏ぎる行為だ。
長谷川の心中は腸の煮えくり返る思いであったろう。
今度は民事でも同様だ。明らかに偽証罪である。長谷川はこの酒井との会話録音をとっておりその上での酒井を問い詰める場面があったが、裁判官から窘められ制止された。ならば裁判官もこの偽証罪を重視すべきと思うところだ。宣誓宣言だけでは意味がない。
全く今の裁判制度がわからない。これでは犯罪者は委縮どころか大胆横暴になり、警察の捜査や、司法自体の認識すら薄れ犯罪はさらに増加をたどることになるだろう。
今や犯罪大国日本なのだ。

※一連の監視カメラ映像も YouTube 、Facebook 、Twitter 、で公開しています。

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