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  8月 11, 2023 面白い記事(ブログ)を見つけた。すごいというか生々しい実録と思われるご一読あれ! 郡山市在住、佐久間五郎氏ブログより転載! 正義感あふれるブログの構成に圧巻! 末尾には、このシリーズの 「総括編」 とも云えるブログをリンク! 2023年08月10日 政経東北8月号の記事を読んで驚いたのなんの(笑) 当ブログ記事は会員及びFBF&フォロワー限定で閲覧可能です。それ以外の方の閲覧や入室、無許可でのダウンロードは法律に抵触する場合がございますので御注意を。会費並びに購読料や御支援はブログ末尾に書かれてる口座へ御振込み下さい!   政経東北8月号に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松男性」という記事が載っている。愚生とも因縁のある太田正吾がそこに登場していたのには驚いたのなんの。正吾は「投資家」を自称しているが、暴力団交友者であり、反社会勢力の一員である。  正吾とは、太田綜合病院の太田家の墓問題で相談を受けて拙ブログでアップしたものの、知人から削除依頼が来て当該ブログを削除した。ブログを削除すると正吾は激怒。別に原稿料でも貰ってたら削除することは無いが、何故か太田健三理事長ではなく、批判の矛先が愚生となり、正吾から殺人予告を受ける羽目になったっけ(笑)  ブログ削除後、正吾の社員の奥平光紀から連絡があり、ホテルで待ち合わせた。奥平は、指に巻かれた包帯を見せ、「ブログを削除したので、そのケジメを取らされた」と言い放った。エンコ詰めしたヤツは何人も知ってるが、随分と元気そうだった。血が滲んだ手を訝しく眺め、「なんだいそれは?まさか俺を脅かしてるの?」と愚生。  その数年後、正吾が社員の指を詰めさせた強要罪などで逮捕されたのを知った。何やら知人男性に貸してた2000万円を回収出来ず、「指を詰めるか、マグロ漁船に乗るかどっちにする」と脅して指を詰めさせたという。その知人男性こそが奥平。つ~ことは、愚生に会いに来た際のエンコ詰めは正吾の演技指導で、ウソだったのがバレた(笑)  強要罪で起訴された正吾が、喜連川社会復帰促進センター(旧黒羽刑務所)に収監されたのは令和の御代になって間もなくの頃だった。弁護士が付いて乍ら満期の出所。以前、刑務所の仲間だったというヤツから連絡が来て、正吾の与太話を聞いた。  刑務所内では相変わらずで、はったりのオンパレード...
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政経東北8月号に「 不当な立ち退き要求と闘う会津若松在住男性 」この記事に関する詳細な情報を得ることが出きたのでその全貌を公開します。 当ブログは世間の皆さんに警鐘を鳴らす意味において公開しております。 身近に起こる犯罪とは、自分自身が知らない間にも魔の手は忍び寄ってきます。 自身で防衛対策に努めましょう。 ※当ブログは政経東北とは一切関係ありません。            第2章  「羊に群がる狼たち・陰謀!」  令和元年12月24日の夜のことであった 。 長谷川は何気なく監視カメラのモニターに目をやると、一台の車が何をしているのか駐車場入り口で、前進したりバックしたりを繰り返しているのだ。 30分近くやっていたと思われるのだが、ついに入り口にあるコーンを踏みつぶした。 「何やってんだこの馬鹿が!」と長谷川は外に飛び出していった。 近づくとなんと関正尚であった。 「何やってんだ」と云うと、「車なかなかバックできねえな」と云いながらも続けている。 「とにかく運転代われ!」と云ったが、「何で代わんなんねぇだ」と目くじらを立てる。 黙ってみていると30分ほど繰り返してようやく奥のスペースに止めたのだった。 しかし今度は車から降りることもできない。 なんだかんだで小一時間はかかったと長谷川はいう。 降りると今度は「小便漏れる~」何分自分で立って入れないのだから始末が悪い。 後ろを支えながら用をさせ、とにかく家に上げたのだそうだ。 熱を測らせてみると40度近かった。仕方がないので竹田総合病院に連れて行き、即時入院となったがその時の医師の話で、「あと一日遅かったら死ぬかよくて頭がやられていたでしょうね」と云われたという。 この時を振り返って長谷川は云う。 関は、40度の熱があるとわかると「俺死ぬのかよ。じゃぁ救急車で行くべぇ~」 金に強欲な人間でも所詮死と向き合うと、「死にたくねぇ~」本音である。 金があってもタイミングを外せば、助かる命も助からない。 金と人の親切さを謀ることもできないそんな人間なのだから、他人を頼らず死を選択すべきだろう、助けるべき男ではなかったと長谷川は語る。  この駐車スペースも長谷川家が利用するスペースの一つであった。関は自分の店には駐車場はない。従業員の配達用の車はたえず路上駐車だ。自分の車を止めるところを直ぐ側に借りていたのだが、貸主の都合で利用...
  8月 15, 2023 政経東北8月号に「 不当な立ち退き要求と闘う会津若松在住男性 」この記事に関する詳細な情報を得ることが出きたのでその全貌を公開します。 当ブログは世間の皆さんに警鐘を鳴らす意味において公開しております。 身近に起こる犯罪とは、自分自身が知らない間にも魔の手は忍び寄ってきます。                       自身で防衛対策に努めましょう。 ※当ブログは政経東北とは一切関係ありません。 第1章 「羊に群がる狼たち・序章」   そもそもこの事件の発端から書かなければならない。この一連の流れには、2人の被害者がいるのだ。 ひとりは元所有者である群馬県桐生市に在住する山田トミエさんである。そしてもう一人が、渦中にいるXで、Xは長谷川だ。 極めて悲劇の真っただ中に置かれているのが長谷川であり、真の意味ではこの長谷川こそがいちばんの被害者であろう。  長谷川が祖父の代から100年以上に渡り借地借家としている問題の場所は、会津若松市のほぼ中心地にあり静かな住宅街である。土地面積は約230坪(当時評価額2600万円)バブルの時代には坪単価35万もしたという。 長谷川の借家は100年以上も経つ家で、敷地内の隣家にはトミエさんの親族が住んでいたという、この夫妻が故人となってから以後、子供がいなかったことから群馬の親族である山田家が相続したというものだ。  もともと家族的付き合いであったことから、長谷川の祖父との間には契約書なども一切なく、家賃を払って住むいわば大家と店子の関係であったという。 群馬の山田家が相続後もこの関係は続き、契約書などはなく「家の修理や改築はそちらで自由にやってください。それであるなら無条件で住んでくださってよろしいですよ」との話で、以後家賃は桐生の山田家の口座へ振り込んできたという。  長谷川は自費でもって、当時借金して500万円ほどかけて家を自力で改築したという。 とにかく当時は外回りは障子戸、床は落ち、茅葺屋根に井戸水であり風呂は銭湯などで、最も終戦後から昭和の時代であるから、長谷川家に限らずいくらでもこういう状況の家は多くあったという。 それでも長谷川にとっては生まれ育った実家であり、父親は長谷川生まれて二週間...